3.31.2011

10本のガーベラ

先日、英会話に行くと、シュルレアリスム展に行った、と先生がチラシを見せてくれた。
そのなかにジョセフ・コーネルの名前を発見して嬉しくなったものの、先生は、英語圏のアーティストの作品が少ないし(パリのポンピドゥーセンター所蔵作品展だもの)、英語で書かれた作品の説明を「読んでも」わからないものが多くて疲れた、と少し曇った表情をして見せ、私がジョセフ・コーネルが好きだと言っても、ふうん、としか返してくれなかった。どんな作品が見れるのか知りたかったのに。目に付くものが違うのだからしょうがないけれど。これは趣味の違い。

先生が言うには、外国人が東京から離れたのは、CNNのナントカという番組のダレダレがセンセーショナルに原発事故を報道したせいもある。まあ、水に含まれている放射線の量は大丈夫だよ、と私よりも落ち着き払っていて、授業中に起こった余震もなんともないようだった。

家に帰って、展覧会のホームページを見たけれど、作品についての情報も載っていないし、シュルレアリスムの作品を見るのがなんだかしんどくなって、探すのをやめてしまった。


日曜日に買った淡いピンクのガーベラ10本は、数年前に骨董市で買ったガラスのコップに活けた。今も、テーブルの上で美しく咲いている。
宮城県石巻市がガーベラの産地でもあるということを、花屋さんの店先のバケツにさしてあったポップで初めて知った。代金の500円のうち、100円が市場を通じて寄付されるという。そのお店が取引しているガーベラ生産者の方とはまだ連絡が取れないということが書いてあって、胸の奥が痛くなる。


何かが変わったのに、変わってないかのように仕事するのはつらい、とCさん。
会社での短いやり取りだったということもあるけれどその、何か、を的確に表せることばはまだ私にも見つからない。 それは今も変わりつつあるような気がする。 失われたものはあまりに大きすぎるけれど、生まれつつある小さな光も確かにある、と私は信じたい。